
阪神・淡路大震災


多くの被害を出した阪神・淡路大震災 |
死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人の被害者を出した阪神・淡路大震災。1月17日、午前5時46分に発生。阪神間および淡路島の一部で震度7の揺れが確認されました。大きく傾いたビルや倒壊した高速道路の映像は日本の安全神話を覆し、今も強く記憶している人は多いはず。全国から多くの救援物資、義援金が届けられ、ボランティアなどによる復興支援活動が行われました。この震災後、ライフラインの早期復旧、活断層などへの配慮、建築工法上の留意点、行政の対策などが注目されるようにもなりました。

地下鉄サリン事件

地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線の車内で、化学兵器として使用される神経ガス・サリンが散布され、乗客や駅員ら12人が死亡、5300人を超える人が重軽症を負ったオウム真理教による犯罪事件。当時日本において、戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに、大都市で一般市民に対して化学兵器が使われたテロ事件として、国内のみならず、世界中を震撼(しんかん)させました。
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優勝旗を持ってサポーターに挨拶するグスタボ・サパタ(右)とダビド・ビスコンティ(左)。©Y.F.M

1995年12月6日は、Jリーグチャンピオンシップで、横浜マリノスが初めて優勝した記念すべき日です。対戦チームは1993年のJリーグ開幕から2年連続でチャンピオンシップを制し、黄金時代を迎えていたヴェルディ川崎。ともに優勝候補といわれてきたチーム同士の頂上決戦でした。その緊迫した雰囲気の中で行われた試合は、結果こそ2戦ともに1−0の僅差でしたが、宿敵・ヴェルディ川崎を見事下し、頂上に立つことができたのです。
シーズン途中で就任した早野宏史監督の指揮のもと、当時活躍した選手は、井原正巳(キャプテン)、木村和司、水沼貴史、松永成立、三浦文丈、鈴木正治、グスタボ・サパタ、ダビド・ビスコンティ、メディナベージョ、山田隆裕、松田直樹ほか。当時を知るファンにとっては、忘れることのできない選手たちでは。
時は流れ、1999年横浜マリノスは「横浜F・マリノス」に改名。当時選手として活躍した木村和司さんが今シーズンの監督に就任したので、その采配にも注目したいですね! |