開港150周年でわき立つ横浜。みなとみらいや山下公園などで、今まさに記念イベントが行われていますね。横浜中華街も、開港とともにやってきた外国人たちの手によってつくられた街です。そこで、今回は横浜中華街の成り立ちについて、横浜開港資料館の主任調査研究員・伊藤泉美さんにうかがいました。

当時の様子がうかがえる、明治30年代の中華街を描いた風刺画(写真右上)
明治後期の横浜中華街(写真左)と、現在の横浜中華街(写真右下)。同じ場所を写したもの。左手に、聘珍楼の看板が見えます
※写真左・右上の2つは横浜開港資料館蔵
日本人と西洋人の仲介役
“カンプさん”が活躍
「開港150周年の記念の今こそ、あらためて横浜中華街を振り返る意味がある」と語る、横浜開港資料館の伊藤泉美さん
横浜が開港したのは今から150年前、ペリー率いる黒船艦隊が政府に開国を求めたことがきっかけでした。その当時、横浜中華街の姿はどんなものだったのでしょうか。
「開港してすぐのころは、まだそれほど多くの中国人が横浜にいたわけではありません。中華街と呼べるような形になったのは、開港後約20年たってからですね。横浜一帯に開港場が開かれ、外国人の居住地ができ、アメリカやイギリスといったさまざまな国の商人がやってきました。その際、ほとんどの商館が中国人のスタッフを連れてきていたのです」(伊藤さん)。
中国人スタッフが活躍する場面というと、やはり料理なのでしょうか?
「それが料理人じゃないんですね。西洋人が日本人といざ貿易しようとした際に、お互いの習慣や、通貨や重さの単位など、まったく分からないことだらけでした。そこで、日本より先に西洋との貿易をし、日本人と生活習慣が近く、漢字で筆談できる中国人が雇われたわけです。“買弁(ばいべん)”というのですが、彼らは西洋と日本のビジネスの仲介役として重要な役割を果たしました。買弁は、英語でコンプラドール。それがなまって、彼らは“カンプさん”と呼ばれていたのですよ」
横浜の中心にあり続け
今なお発展し続ける街
こうして成功した人が一族を日本に呼び寄せ、当時は横浜新田と呼ばれていた、現在の横浜中華街がある場所に移り住みました。
「ただし、あくまで日本で働く中国人のための居住区としての意味合いが大きかったので、今の中華料理店が立ち並ぶ観光地としてのイメージとは違います。料理店が増えたのは、関東大震災以降のことです」
その後、順調に発展していくと思いきや、今度は大空襲で街は焼失してしまいます。それらの被害を乗り越え、戦後にようやく牌楼(ぱいろう)などが整備され始めます。
イギリス・フランス・インドなど、いろいろな国から人々が横浜へやってきましたが、現在までコミュニティーが残っているのは中国人だけ、と伊藤さん。
「関東大震災で建物が焼失して国へ帰ったり、また戻ってきたりしても、今度は第二次世界大戦が起きて外国系の社会は途絶えてしまいました。そんな中、横浜中華街だけは横浜の中心にあり続けている。まさに、横浜の歴史や歩みを象徴している街なのです」
私たちがこの街にひかれるのも、脈々と受け継がれるエネルギーを感じられるからかもしれませんね。

資料館の中庭にある有形文化財のタブノキ。通称「タマクスの木」
<<横浜の歴史資料がいっぱい>>
横浜開港資料館へ行こう!
19世紀半ばからの横浜の歴史資料がそろい、公私の文書記録、新聞、雑誌、写真や浮世絵など25万点以上が収集されています。
7月29日(水)〜 10月25日(日)の期間中、「横浜中華街1859〜2009 落地生根への歳月(仮)」を開催。詳細は電話045(201)2100へ問い合わせを。
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イチオシ中華街グルメ!
伊藤さんオススメの、老舗料理店を紹介します
聘珍樓 横濱本店
横浜中華街を代表する広東料理の老舗。創業122年というから驚きです。食材の安全性を考え、化学調味料、着色料などの添加物を使用せずに調理しています。厳選されたあわびやフカヒレなど、吟味されたぜいたくな素材をぜひ一度味わってみて。
営業時間 午前11時〜午後11時。無休
住所 横浜市中区山下町149
TEL 045(681)3001
URL http://www.heichin.com/
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女性には飲茶も人気。「海老入り蒸し餃子」1つ200円
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安記(あんき)
名物のお粥は、日本人の口にも合う、さらりとした食感が特徴。シンプルな「玉子粥」550円や、エビ、イカ、ツブ貝の入った「三鮮粥」800円などがオススメ! お粥以外の1品料理も充実していて、2階の座敷ではコース料理も楽しめます
営業時間 午前9時〜午後2時、午後5時〜8時、水曜定休
住所 横浜市中区山下町147
TEL 045(641)3150
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