とことん横浜中華街
この街で生まれた“周ピアノ”が伝える歴史とは…
開港当時、ここは西洋文化の入り口だった!

 横浜中華街は、そこに暮らす人々のコミュニティーがあるからこそ、作られた観光地とは異なる何かがある…。そこで、歴史的、文化的な面から、横浜中華街の魅力を紹介していきます。

横浜開港とともに外国文化が入ってきた

萬珍樓のロビーにある周ピアノ。音色はやわらか

弦が張ってある板には周ピアノの商標がうっすらと残っています

 横浜中華街の萬珍樓本店のロビーには“周ピアノ”が展示されています。これは、大正時代に周筱生(しゅうしょうせい)さんという職人が作ったもの。このピアノの歴史について、同店社長の林兼正さんに話を伺いました。
 「周ピアノの歴史をたどると、横浜中華街が誕生した横浜開港(開国)のころまでさかのぼるんですよ」と林さん。横浜中華街がどのように誕生したのか、気になりますね。
 1859年、鎖国していた日本は5カ国(※1)に開港。多くの外国人が日本にやって来るようになったものの、彼らの暮らしを支える職人(洋食・洋服・大工など)たちが日本にはまだいなかったとか。そこで活躍したのが中国の人たち。
 「日本よりも先に開港した中国には、西洋の外国人の生活を支えるための職人がすでにいた。それで、西洋人たちは、外国語も話せる中国人の職人たちを日本に連れて来たんですよ」
 そんな中国人たちが居留地の一角に集まってできたのが、横浜中華街の始まり。外国文化は中国人を通して日本人に伝えられたので、歯科医や理髪店など、いろいろなものが横浜中華街発祥ともいえる、と林さんは言います。
 「開港当時、中華街には劇場兼料亭“會芳樓”(※2)があり、オペラも上演されました。輸入ピアノを使ってね」
 そのピアノの調律をするのは中国の調律師。その中に周ピアノの生みの親・周筱生さんもいたのです。
※1…アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランス ※2…現在、山下町公園内の會芳亭がある場所にあった劇場兼料亭

周ピアノが萬珍樓にやってくるまで

萬珍樓社長の林兼正さん

 なぜ、周ピアノが萬珍樓のエントランスに?
 「もともとは、教師をしている男性が所有していた周ピアノなんですよ」
 その方の生家は横浜中華街の食材店で、1955年ごろ、母親がオークションでピアノを購入。その後使わないまま家に置いてあったそう。あるとき、そのピアノに似たものを横浜市歴史博物館で見かけて、研究員に調査してもらったところ、歴史がある周ピアノとわかったのだとか。
 「持ち主がピアノの寄贈先を探していて、横浜中華街発展会協働組合の理事長でもある私が相談を受け、預かることに。昨年の11月から展示しています」
 林さんによると、横浜中華街は、大震災や空襲でほとんどのものがなくなってしまったので、国内にあるほかの中華街に比べて、歴史的資料が少ないそうです。西洋文化の入り口が横浜中華街だったということを、この周ピアノはこれからも伝えていってくれるでしょう。

周ピアノとは?

 上海「モートリー商会」でピアノの輸入・販売・調律・修理を行っていた周筱生さんは、十数年にわたり腕を磨き、1905(明治38)年に横浜へ。1912(明治45)年、周興華洋琴専製所を創立。2代目の譲傑さんが継いだ工場は、1945(昭和20)年、空襲で消失。周ピアノの製作は途絶えた。初代周ピアノには、S.CHEWという銘がある。鍵盤が2つ少ないのも特徴。

横浜中華街を楽しもう!

 女性同士でしっかり食事を…というときのお店を林さんが教えてくれました。

萬珍樓 本店

 横浜中華街の顔ともいえる、1892年創業の老舗。化学調味料は使わず、生産流通の履歴がわかる食材のみを使用しているというこだわりが。専属パティシエのオリジナルデザート、季節の食材を取り入れた「調理長のお薦め料理」も注目です。

営業時間 午前11時〜午後10時。無休
住所 横浜市中区山下町153
TEL 045(681)4004
http://www.manchinro.com/

周ピアノがある「萬珍樓」の本店

状元樓

 西洋と中国の伝統様式が混在した、1920年代の“オールド上海”を意識した店内は、レトロでノスタルジックな雰囲気。女性に人気なのは「状元特製フカヒレコース」1人2800円(2人から)。フカヒレ入りスープチャーハンなど全8品に、中国花茶付き。

営業時間 午前11時30分〜午後10時30分。無休
住所 横浜市中区山下町191
TEL 045(641)8888
http://www.jogen.co.jp/

ステキな調度品にうっとり。落ち着いた色合いの店内

情報掲載日:2008.5/7