![]() この街で生まれた“周ピアノ”が伝える歴史とは…
開港当時、ここは西洋文化の入り口だった!
横浜中華街は、そこに暮らす人々のコミュニティーがあるからこそ、作られた観光地とは異なる何かがある…。そこで、歴史的、文化的な面から、横浜中華街の魅力を紹介していきます。 横浜開港とともに外国文化が入ってきた
萬珍樓のロビーにある周ピアノ。音色はやわらか
弦が張ってある板には周ピアノの商標がうっすらと残っています 横浜中華街の萬珍樓本店のロビーには“周ピアノ”が展示されています。これは、大正時代に周筱生(しゅうしょうせい)さんという職人が作ったもの。このピアノの歴史について、同店社長の林兼正さんに話を伺いました。 周ピアノが萬珍樓にやってくるまで
![]() 萬珍樓社長の林兼正さん なぜ、周ピアノが萬珍樓のエントランスに? 周ピアノとは?
上海「モートリー商会」でピアノの輸入・販売・調律・修理を行っていた周筱生さんは、十数年にわたり腕を磨き、1905(明治38)年に横浜へ。1912(明治45)年、周興華洋琴専製所を創立。2代目の譲傑さんが継いだ工場は、1945(昭和20)年、空襲で消失。周ピアノの製作は途絶えた。初代周ピアノには、S.CHEWという銘がある。鍵盤が2つ少ないのも特徴。
|
|||||||
|
|




