「当たって砕けろ。難しい役柄なことが、負けずギライの僕のやる気にある意味火をつけましたね」。映画「武士の一分」で役者・木村拓哉さんの魅力がまた一段と開花。城勤めの毒見(藩主の食事を先に食べて安全を確認する職務)で、突然失明してしまう下級武士・三村新之丞の苦しい心情を見事に演じている。
「演技全体では、江戸という時代を考慮して“もっと思い切り笑ったり泣いたり叫んだらいいのに”と思う部分を抑えることを心がけました。一番悩んだことは、光を失うということをどう表現するか。相手の目を見られないというのは悔しいことでした。話すときも、聞くときも、相手の目が見られない。あだ討ちのときでさえ、斬(き)る相手の目を見ることができないのがこんなに悔しいことなのか、と感じましたね」
「必死すなわち生くるなり」。劇中に出てくるこの言葉が、木村さんにはとても印象的だったそう。人、男、そして武士として生きる自分にとっての尊厳ともいえる、譲れない“一分”を守る。そのため、新之丞は失明した身には無謀な果たし合いに、それこそ死ぬ覚悟で臨む。だが、彼を演じた木村さん自身は“一分”を守るための死より、むしろ「生きる」ことにこだわりたいのだという。
「新之丞には、“生きろ、死んだらぶっ殺すぞ”と言いたい(笑)。絶対に譲れない、命を投げ打ってもいい、ってそれだけ腹がすわってるんだったらとにかく生きろ、と。それが“必死すなわち生くるなり”ということだと思う。新之丞は死ぬ覚悟だったけど、好きな女性のたすきを頭に巻いて戦った。それは、彼女のたすきとともに死ぬ、という意味ではなく、生きる希望を託していたんじゃないかな。そこに強く共感しながら彼を演じましたね」
クライマックスでもある果たし合いのシーンがクローズアップされがちだが、同作品は切ない愛妻物語でもある。夫婦が愛し合っているからこそ受け入れられない悲劇が起き、苦しみ、離縁するまでになってしまう。「新之丞は、その一部始終になすすべがなかった自分に対して、ものすごい情けなさを感じていたと思う。だから怒りではない理由で加世(妻)を離縁するシーンは、ホントつらかったですね」。現代を生きる女性たちの胸にもグッとくる作品だ。この映画を通じて男の“一分”に迫った彼から、まだまだ目が離せない。 |