2008年03月26日 09:13

人間関係に必要なのは、見返りを求めない親切心

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 去年の年末にこっそりインドネシアのほうに旅行に行ってきました。
 アジア方面に行くと、たくましさを感じます。そのたくましさというのは、「なんでも売るぞ」というやみくもな営業力なのですが、それくらいの勇気があれば、日本でいうところの飛び込み営業なんてどんどん数だけはこなせるのだろうなと、ついつい営業コンサルタントの顔になってながめてしまうのです。
 空港に着くと、目の鋭いちょっと怖めの現地の人が、すばやく私のところまで寄ってきて、「両替ですか?」と聞くのです。誰かに声をかけてもらうと、ついつい反射的に笑ってしまう私は笑顔で、「へっ?」と聞いたのですが、その人たちは私のスーツケースを、頼みもしないのに両替コーナーに運んでくれたのです。彼らはほんの10メートル転がしただけで、「お金、お金、5ドルください」と言って、当たり前のように手を出しました。「えっ、5ドルって何よ?」と思った私は、「そんなの頼んでないです」と言って、自分のスーツケースを持ってその場を立ち去りましたが、そのときの相手の残念そうな顔を見て、なんだか私が悪いのかしらと、複雑な心境になってしまったのでした(笑)。

 そんな営業スタイルは、きっと国の経済を反映していたりもするのですが、そんなことがたびたびあると、すべての人の親切を無償でなく有料なのかと警戒してしまい、すべての人がそうじゃないのに「今あなたはやさしいけれど、そのやさしさには裏がありますか?」と疑ってしまう自分に反省したりしてしまいました。
 確かに人間が生きていくためにはお金が必要で、そのために何かを提供して、対価としてお金をもらっているのですから、欲しいものに対してお金を払うのは当たり前なのですよね。
 けれど、問題は、無料かなと思っていたら有料だったという展開。デパートの試食コーナーで思わず食べたら、そっちは商品で「それ有料ですけど…」と言われるのと同じです。先に有料だと分かって納得していることならOKですが、無料だと思っていたものが後で有料だと分かると、怒りとかショックとか、がっかりした気持ちでいっぱいになってしまうだけなのです。
 人間関係も同じような気がします。下心があって人に親切に近づいていき、後から「代わりにこれをしてください」と要求する人にはがっかりします。だからせめて自分は、人との関係で相手への親切においては、最初から最後までが無料でありたいと思うのです。勝手に相手からのフィードバックに期待してショックを受けるよりも、チョコレートを受け取ってもらえるだけでよかったと思えることが幸せなのですから。
 さて、こんな雑談をしているとき、相手の独身女性社長が言いました。
「私、裏があって言い寄ってきた男性でも、体目当てだったらいいわ。けどお金目当てだったら…ショックなのよね」
 切実な感じだったので、何も言えなくて苦笑いしておきました(笑)。

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▼このエントリーへのコメント

和田さん
連載もあと少しですよね。読む楽しみをいつもどうもありがとうございます。
見返り、、、好意とか親切で〜と、したことを、期待しないようでいて、どこかでこっそりそう思ってしまうと、その時点でもう親切は、なんだかまったく違うものになってしまうんですよね。
そうは思ってなくても、ん?何か裏があるの?って思われたりもするものなのでしょうか?なんだか悲しいなぁ〜
人の心の裏の裏までわかって考えて動く思いやりの松のお話を思い出しました。ん〜深いなぁ(笑)
今月発売の人間関係のCD聴かせていただいております(^ー^)♪すっごくためになりますよ。今日もあっ!これだ!そうだそうだ!と思う内容がありました。たすかっておりまぁす!どうもありがとうございます。

投稿者:あや(2008年03月26日 22:23)

和田さんの連載いつも楽しく読ませていただきてます
今回のネタが自分にとってまさにタイムリーで参考に
なりました。連載も終盤に差し掛かりぜひお聞きしたい
ことがあります。

人の縁に恵まれる人、人に大事に
される人、またそうなる為にはどのように人と接する
べきなのか諸々伺いたいです。

私自身、異性問わず人との縁が希薄になりやすく
関係性がいつも一方通行になってしまいます。
友達が困っていると聞けばどうしたらその悩みが
解決できるのかを一緒に考え、足が無いと言えば
送り迎えをして、友達の誕生日にはみんなに呼びかけて
サプライズパーティーを企画してと自分なりに出来る
ことをしてきました。

が、相手にとっては単に【何かをしてくれる人】に
しか過ぎず、電話やメールも頼み事のある時しか
来なかったり、家に招いてお茶をするのも、いつしか

当然とされていたり、子供を連れてくる友達たちが
複数居るのですが、みな子供に片付けさせることなく

投げ散らかしたままで帰ったり、これが友達だけで
なく、社会人になってから縁する人にも全く同じ
事が起きてしまうのです。期待して何かをしては
いませんが最低限のマナーってありますよね。

自分自身は子供の頃から人様の家に手ぶらで行く
ようなことはしてはいけないとか人様に何かして
頂いたら何かしらの形でお礼をしなさいと言われて
育ったのもあり、今、自分が縁している人たちが
それとは真逆で、このような関係ばかりが続くので
自分のあり方や人との付き合い方をもう1度見つめ
直さなければいけないと思うのですが、大事にされる
人とされない人の相違点、また、和田さんは職業柄
沢山の方と縁して、人間的レベルの高い人にもお会い
されていると思いますがそのような方と縁するには
どうしたらいいのかをぜひ教えていただきたいです。

投稿者:あすか(2008年03月28日 15:50)

和田さんしいつもあわせレシピを楽しみに読ませていただいております。陽転思考など納得できることが多く、いろいろと参考にさせてもらっております。
今回は、どうしても和田さんに意見をお伝えしたくなったので、初めてコメントを投稿させていただきます。

親切は見返りを求めずに行うものと言う考え方は確かに大切だと思うし、親切の押し売りをしてはいけないというのはよく分かるのですが、あすかさんのコメントにもあるとおり、お互いにそういった関係が築ける間柄でないと、結局は良い人間関係は成り立たないのではないでしょうか?やはり、良い意味でのGive&Takeができていないと、良い人間関係を長く続けていくことは難しいように思えるのです。

ちなみに、私は会社でお世話になっている上司にお礼としてチョコレートをあげて、お返しが貰えなかったのですが、同僚は、同じ上司に同じ理由であげてきちんとお返しを貰っていました。
もちろんお返しを貰いたくて贈ったつもりはまったくなかったのですが、その事実を知ったときは相当ショックでした。どうして差別をされてしまったのか理由がまったく分からず、陽転思考しようにもなかなか苦しいです。
これもまた、人生の真実と思って耐えていますが、やはり以前のようにお世話になっている人と純粋に好意を抱けなくなってしまいました。

投稿者:はるみ(2008年03月29日 01:03)

ケースバイケースがあって、なかなか纏めるという作業は難しいものですね。言い切ってしまうにはやっぱり難しさが付きまといます。人生経験って言うのは其々違うもので、捉え方も感じ方も違う。自分なりに当てはめていける自信がついたのも、この文と出逢ったからだと私は思っています。何も解らずに始めたブログ。モノを書くということが、こんなにも多くの人へ影響してゆくという事の恐ろしさも、楽しさも、チラッとだけ判って来た様に思います。とりあえず、人と触れ合ってみるという、自分にはなかった分野も見えてきました。これからもずっと指針にしたかったのですが、間もなく終わるという事を聞いて残念に思っています。でも、又違うところで和田さんの文章に出逢えたら嬉しいですね。

投稿者:こたろう(2008年03月29日 08:38)

上の人たちが煽るようにGIVE&TAKEの関係でなければ
スムーズな関係が築けないのはたしか。特にアメリカ
などはチップが当たり前の国なので何かしたらそれに
対する報酬をもらうのは当然ということがあります。
暗黙の了解みたいな。日本人は恩着せがましいのを
嫌うので敢えて言わないですけどアメリカ人は凄い
ですよ。あのとき私はこうしたわ。なぜあなたは
してくれないの?ねえなぜ?と平気で言います。
ニューヨークに住む日本人サイキックカウンセラー
(日本の雑誌でも有名なはず)の著書にも書いて
あります。どちらか一方がGIVE、もしくはTAKEでは
関係が長続きしない。どんな関係においても
GIVE&TAKEでなければ良好な関係は築けないと。
特にアメリカなんかそうですからね。日本でも
今これが出来てない人たちが多いから人間関係で
悩む人が増えてるんじゃないかな?
過度の期待はダメだけど人間関係スムーズ
にいかせようと思うならばそういう意識を持つべき。


投稿者:ニューヨーカー(2008年03月29日 17:14)

GIVE&TAKE・・・難しいですね。
和田さんの話を読んで納得したところで、
皆さんのコメントを読んだら反対意見が多く
驚きました。

確かに、折角GIVEしたのに全くTAKEが無い関係だと
悲しいかもしれません。
私も昔は、そういう考えでした。
ヒドイときはTAKEを相手に約束させてからじゃないと
決してGIVEしませんでした。
(「コレをあげるから代わりにコレをしてね」とか)

今はやめました・・・。

そうしたら、逆に自分が楽になりました。
私は今は、自分が喜ばしたい人にかGIVEしません。
その代わり、GIVEした相手が喜んでくれたら、それで満足することにしてます。そうすると、目的は相手を喜ばすことであってTAKEを貰うことじゃないので、お返しが無くても不満は残りません。また何かをしてあげて、お返しをしれくれないじゃないかと思ってしまうような相手には、自分がGIVEするのをやめることにしています。

結局、相手のことを本当に思ってすれば、必ず何かは返ってくると思うし、「なんで私ばっかり?」と思ってしまうようなことは、本当は相手の為じゃなく、自分のためにしている事だったりするのではないでしょうか・・・?

あすかさんのお話ですが、
あすかさんは、本来、自分が人との縁が薄いのを改善しようと、色んな人のためになることをして人脈を作ろうとされているのですから、人からその持て成しについて、お返しされることは無いのではないでしょうか。TAKEされているのは、その時築かれた人との縁であって、手土産とかを期待するほうが間違ってるとも考えられませんか・・・?

そう考えると、何をTAKEを思うか、思えるかというのも大事なのかもしれません。

キレイ事ですが、そんなことを思いました。

投稿者:UJ(2008年04月04日 14:03)

UJさんの意見、すごくよく納得できました。何をTAKEと思うか、思えるかということ、それを陽転思考で考えることが大切なんだということですよね。

ただ、あすかさんの言いたかったことは少し違うように思えます。
常に自分が与える立場であって、同じ人間関係の中で、与えられる立場に立つことがないと言っているのではないでしょうか?

UJさんが喜ばすことを目的にGIVEしてあげてた相手は、別なとき別な形でUJさんのことを喜ばそうと何かGIVEしてくれることはないですか?

これも、何をGIVEと思うか思えるかになるかもしれませんが、それを陽転思考をしてでも見つけ出すことができれば、その関係は良いものとして続いていくのだと思います。
それが私の言いたかったGIVE&TAKEなのです。

チョコの件は確かに低レベルな話ですが、どちらかと言うとお返しがもらえなかったことよりも差別されたことがショックだったのです。
でもそれも、上司から見れば私はどうでも良い相手で、今後も良い関係を続けたいとか、喜ばせたいとは思ってもらえてないということなのでしょうね。何か私に問題があるということなのだと思います。

ニューヨーカーさんにも煽っていると誤解されたように、私は思ったことをストレートに伝えてしまう時があるので、良い方に解釈されていないかもしれません。ですが、決して煽ったつもりはありませんので、皆さん誤解しないでくださいね。

どうもありがとうございました。

投稿者:はるみ(2008年04月06日 02:32)

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