幸せを呼び込むため… 「陽転思考」を忘れずに!

最後に、最初に戻って「陽転思考」で終わりたいと思います。
今の私が頑張って生きていけるのは、「陽転思考」という考え方のおかげです。これは、マイナス思考はだめといった、ポジティブシンキングとはちょっと違います。
私はもともと自信のないマイナス思考の人間だったので、「マイナスは考えてはいけない」ということが守れませんでした。そうなると輪にかけて落ち込むので、そういった規則を一切なくして、泣いてもいいし怒ってもいい、けれどそれを長引かせないで幸せな方向にシフトしていこうという考え方、つまり和田なりの「陽転思考」を作ってきたのです。
つらく悲しい経験は文字にして乗り越えよう

この連載をもとに、「幸せレシピ」が新潮社さんから出版されました。その本には、陽転思考や神社、子供のころの話など、たくさんのエピソードがつまっているのですが、今、読み返しています。
実は、この連載は仕事から離れた日常のエピソードから幸せになれるもとを探すという壮大なテーマなだけに、途中なかなか書けなくて、時間に追われているときにはついつい逃げたくなり、「もう連載はムリです…」と弱気になったこともありました(そもそも私は甘え体質で根性がないのです)。
それでも、みなさんからの応援メッセージに励まされて、なんとか続けて書いてきたのでした。そんな「産みの苦しみ」の中から生まれたのが、「幸せレシピ」という本なのです。
あの本を出版できたおかげで、シティリビングを読んでいない人からも、たくさんの反響をいただきました。あらためてそんな機会をくださったシティリビングさんに感謝でいっぱいです。
自分自身で経験、体験、体感して大きくなる

海外の話が続きますが、2月にハワイで講演会があり、社員旅行もかねて全員で行ってまいりました。ハワイは7年ぶりでした。「アラモアナショッピングセンターとホテルのプールをうろうろ」しか経験のなかった私ですが、今回は新しいことにチャレンジしてきました。
まずは早朝5時半に集合して、ダイヤモンドヘッド登山(スタッフが行きたいと言ったので、仕方なく登ったのですが…)! 6時半くらいにきれいなオレンジ色の朝日が海の向こうに顔を出したとき、なんだか感動して心が震えました。
朝日を堪能して興奮したまま、その足で今度は「ヒーリングツアー」に参加し、オアフ島に全部で6カ所あるヒーリングスポットに行ってきました。昔ハワイの人たちが精神の浄化を行うことで、苦しみ、後悔を解放して豊かな気持ちを取り戻したというヒーリングプール、王族のお産場所だったという苦しみをやわらげるバースストーンなどがありました。
人間関係に必要なのは、見返りを求めない親切心

去年の年末にこっそりインドネシアのほうに旅行に行ってきました。
アジア方面に行くと、たくましさを感じます。そのたくましさというのは、「なんでも売るぞ」というやみくもな営業力なのですが、それくらいの勇気があれば、日本でいうところの飛び込み営業なんてどんどん数だけはこなせるのだろうなと、ついつい営業コンサルタントの顔になってながめてしまうのです。
空港に着くと、目の鋭いちょっと怖めの現地の人が、すばやく私のところまで寄ってきて、「両替ですか?」と聞くのです。誰かに声をかけてもらうと、ついつい反射的に笑ってしまう私は笑顔で、「へっ?」と聞いたのですが、その人たちは私のスーツケースを、頼みもしないのに両替コーナーに運んでくれたのです。彼らはほんの10メートル転がしただけで、「お金、お金、5ドルください」と言って、当たり前のように手を出しました。「えっ、5ドルって何よ?」と思った私は、「そんなの頼んでないです」と言って、自分のスーツケースを持ってその場を立ち去りましたが、そのときの相手の残念そうな顔を見て、なんだか私が悪いのかしらと、複雑な心境になってしまったのでした(笑)。
好きなことから始めずに、好きになるまでやってみる

実は最近、自分がどれくらい一カ月に文章を書いているのか考えてみたのです。毎週金曜にメルマガ(身体に染み込む陽転思考―「あ」からはじまる成功キーワード)が4本と、平日毎日、携帯に届くメルマガ(わくわく強運メルマガ)が20本、法人様向けサービス情報が1本、日経アソシエの連載(隔週)が2本、そしてこちらのシティリビングが3本(去年までは4本でした)。そこに毎日更新するブログと、定期的に書く書籍が入ってくるのですが、いやぁ、数えてみると30本くらいの原稿と、さらにブログと本を書いていたのです!
私はほかに講演も会社の仕事もあり、本業が執筆ということではないので、この多さには自分でも驚いてしまいました。けれど、ときにそれが睡眠時間を著しく奪ったり、休みの日を奪ったりすることが多々あっても、「うげー締め切りがーー」とうなっていても、いつのまにか私はこの「書く」という作業が、自分のライフワークの一種のように楽しめるようになっていたのです。
