宮崎死刑囚、刑執行 

宮崎死刑囚、刑執行 供述理解不能 最後まで謝罪なく
(2008年 6月 18日 水曜日 産経新聞 東京朝刊 社会面)

 幼女への執着や遺族らに遺骨や犯行声明を送りつけるなど残忍で異様な手口で社会を震撼させた事件から20年。宮崎勤死刑囚(45)に17日、死刑が執行された。公判では「ネズミ人間が出てきた」などと理解不能な供述を続けた。最期まで謝罪と反省の言葉はなかったという。東京・秋葉原の無差別殺傷事件など、若者の凶悪犯罪が相次ぐなか、当時の捜査幹部は「執行は犯罪の抑止力になる」と語った。その一方で、死刑執行までの20年を「遺族にとって長すぎる」と批判する声も聞かれた。
 平成元年3月、被害者宅や新聞社に「今田勇子」の名前で犯行声明を送りつけた宮崎死刑囚が犯行当時住んでいた自宅は、東京都五日市町(現あきる野市)にあった。自室は母屋の横にあった離れ。中には6000本ものアニメや特撮もののビデオテープが積み上げられていた。この自室で、東京都江東区の女児の遺体をのこぎりで切断。また、自宅裏庭で埼玉県入間市の女児の遺体を焼いていた。
 その自宅は事件の数年後に取り壊され、現在は駐車場。事件をしのばせるものは無くなっている。しかし、死刑執行の報道を聞いた近所の主婦(65)は「今、思いだしてもぞっとする事件。被害者の子供の親にとっては長すぎる。もっと早く処罰するべきだ」と声を震わせた。
 「覚めない夢の中でやったような感じ」。宮崎死刑囚は東京地裁で2年に開かれた初公判で、こう供述。被告人質問では「女の子が泣き出すとネズミ人間が出てきて、気が付くと女の子は倒れていた」などと人ごとのような供述を続けた。
 宮崎死刑囚が月刊誌「創(つくる)」に送り続けた手紙をまとめた本が、最高裁で死刑が確定した18年に出版された。同書の中で最高裁判決を「『あほか』と思います」と批判。さらに事件について「良いことができてよかったです」と振り返っていた。
 刑執行を聞いた元埼玉県警捜査1課の横沢完治さん(64)は「長かったですね。本当に長かった」とぽつり。宮崎死刑囚の印象を「オタクっぽいというか感情の起伏がない人間だと感じた」と振り返り、「ご遺族には(刑の執行が)事件を思いださなくていい日常を取り戻すきっかけになってくれれば」と話した。
 元警視庁捜査1課長の橋爪茂さん(75)は「どんな悪人でも魂はある。いまは宮崎死刑囚の冥福(めいふく)を静かに祈りたい」と話した。
 その上で、東京・秋葉原の無差別殺傷事件に触れ、「宮崎死刑囚の事件は20年前だが、印象が重なる。若い人たちにとって、凶悪事件を起こせば、こうした最期を迎えるという教訓になれば」と指摘した。

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 ≪説明つかない事件のはしり≫

 宮崎勤死刑囚の公判を最高裁判決まで傍聴し続け、著書「宮崎勤裁判」を出版した作家、佐木隆三氏は、次のようにコメントした。
 裁判は非常に長かったが死刑確定からすでに2年半ほどたち、死刑執行には違和感はない。むしろ「ようやくか」という印象だ。
 公判では謝罪もなく、すっとぼけた態度は、精神疾患を装った「詐病」としか思えなかった。人格障害、統合失調症、多重人格と3種類の鑑定結果のうち、判決が人格障害を採用し、完全責任能力を認めたことも納得できる。
 一方、事件が社会に与えた衝撃は大きい。「オタク」文化や、ビデオ撮影などツール(道具)を使った犯行など、奇異な側面ばかりが強調された感も否めない。この事件以降、犯罪の性質が変わったという意見もある。東京・秋葉原の無差別殺傷事件など、説明のつかない事件のはしりかもしれない。
 しかし、子供を狙った凶悪事件は後を絶たない。中でも、4人も殺害した宮崎死刑囚の事件は際立っている。忘れてはならないのは、この事件が完全責任能力のある人間による幼い女の子を狙った卑劣で凶悪な性犯罪だということだ。(談)

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 ≪「薬を使って…」手紙に驚き≫

 宮崎死刑囚と手紙のやり取りをしていた雑誌「創(つくる)」編集長、篠田博之氏の話「10年以上の付き合いがあった。犯罪の外形的事実は認めていたが『実行したのはもう一人の自分』だと思っていたようだ。罪と向き合っておらず、最後まで反省と贖罪(しょくざい)の意思表明はなかった。裁判には終始無関心だったが、死刑が確定した平成18年の夏に『絞首刑は残虐だからやめてほしい。薬を使ってほしい』との手紙をよこしてきたのには驚いた。死刑を意識して、少しずつ置かれた立場を理解していったのかもしれない」

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 ≪罪の意識ないように見えた≫

 死刑確定後に宮崎勤死刑囚と面会した長谷川博一・東海学院大教授の話「最高裁判決後に8回にわたり面会したが、その中で死刑判決について『何かの間違いだ』と淡々と話していた。何が間違いかを具体的に尋ねると、『(裁判官に)残虐だと勘違いされた』と答えた。自分が行った犯行を残虐だと認識していないということで、罪の意識がないように見えた。この事件で『オタク』などの言葉がクローズアップされた。秋葉原の通り魔事件などとの共通点は『リアルな人間関係を持てない人間の犯行』といえるだろう」  

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 ■宮崎勤死刑囚の主な犯罪事実

 ▽昭和63年8月22日、埼玉県入間市で4歳女児を乗用車に誘い入れ、東京都五日市町(現あきる野市)の山林に連れ去り首を絞め殺害。平成元年2月、自宅裏庭で女児の骨などを砕いて焼いた。

 ▽昭和63年10月3日、埼玉県飯能市で7歳女児を車に誘い入れ、五日市町の山林に連れ去り首を絞めて殺した。

 ▽63年12月9日、埼玉県川越市で4歳女児を車に誘い入れ、同県名栗村(現飯能市)の駐車場に止めた車の中で首を絞め殺害、近くの山林に遺体を捨てた。

 ▽平成元年6月6日、東京都江東区で5歳女児を車に誘い入れ、車内で首を絞めて殺害。同月8日、自宅で女児の遺体を切断し、同月10日、飯能市の霊園などに捨てた。