●森優子プロフィール
2005.4/27 更新
森優子の楽しむ旅行術バックナンバー
旅本ライブラリー(13)
イラストレーター・イトヒロ氏インタビュー(後編)
 イトヒロ氏が大学のサークルで漫画を描く機会を得たとき、 素直に「描きたい」と思ったのは少年時代に夢中になった虫捕りの感触やときめきだった。
 「なあるほど、そこから現在の『虫のイトヒロ』に至るのだな」と思いきや、「そこから一直線ってわけでもないんだな〜」とご本人。はて。
「旅の虫眼鏡」著者イトヒロさんのお話、前回のつづきをどうぞ。そしていよいよ、旅の話へ。
森優子 ゲスト=イトヒロ氏 イトヒロ氏
聞き手=森優子
「あ、生き物が好き」と
開眼したのは40歳近くなってから
イトヒロさんは大学を卒業してすぐにフリーのイラストレーターになられたんですよね。
うん。学生時代もすでにイラストの仕事をたくさん受けてたから、自然な流れでって感じで。
やはり虫の絵を描き続けたいという思いが原動力としてあったのでしょうか?
いや。漫画サークルの中では『虫のイトヒロ』という感じにはなっていたけれど、当時はまだ虫好きという以上でも以下でもなかったかもしれない。
 今考えると、駆け出しの頃は本当に甘ちゃんだったんだよね。たとえば仕事で高山植物の絵を描くとするでしょ。編集者から「葉っぱの形と花びらの数が違うから描き直して下さい」って言われたりすると、当時の俺は「えーっ、そんな細かいところ誰も見ないよ」なんて渋ったりしてたわけ。
へえっ。今のイトヒロさんの作品からは考えられない無頓着っぷりですね。
そうなの。「それじゃダメだ」って気づくのに一年ぐらいかかったんだよ。恥ずかしいけど、それぐらい当初はのぼせてたんだね。
実はね、「あー俺は自然が好きなんだなあ」って気づいたのは30代後半(注1)になってからなんだよ。
これまた意外。
たとえば滝を見たとき、若い頃は「すげーな、荘厳だな」っていうぐらいのところに感想がとどまってた。でも今はその滝の水がどこからきたとか、うっそうとした森の黒さが空の白さを際立たせる感じとかに目が行くし、惹かれる。
ぱっと見た目の印象だけじゃなくて、それをつかさどる自然のなりたちみたいなものが面白くなったり、心を動かされるようになったのは、本当に最近のことなの。
ご著書「旅の虫眼鏡」はそんな自覚が芽生えてからの作品ということですか。
うん、あれはもう「誰から頼まれたのでもなく自分からすすんで楽しんで書きました」って感じだったんだけど、書きながら「へー、俺って自然の生物をこんなに好きだったのか」って自分でも驚いたぐらい。
『旅の虫眼鏡』は奥さんの向山昌子さん(注2)とアジア・アフリカをまわった旅がおもな土台になってるんですよね。
では、いよいよ旅の話へとまいりましょう。
プレゼント当選者発表!
イトヒロ(伊藤博幸)氏直筆のサイン色紙プレゼントに、たくさんのご応募ありがとうございました。
夏目 とよこ 様
イトヒロ氏
↑イトヒロ氏。「タイの道端でジャックフルーツの木をしげしげと観察していたら、そばにいたおじさんが『これやる』って切ってくれたんだよね」
※注1→自然への目覚めは30代後半になってから
『自然が好き』という自覚が芽生えたひとつの要因は、息子・ナオ君の誕生だった。
「ベビーカーを押して歩くスピードとか、息子に『こら砂喰っちゃいかんぞ』ってしゃがんだ高さとかに、ちょうど自分が子供だった頃に見たのと同じものが見えたの。なんだ東京にもカタバミが生えてるじゃんとか、やわらかそうな草でも実は細かい棘が生えてるわとか。自然が好きになったというより、息子のおかげで子供の頃の目線が戻ってきたんだね」
※注2→奥さんの向山昌子さん
『旅で覚えたアジア的シンプル生活術(朝日新聞社)』『微笑みの貴公子―ホテリア−、冬のソナタに恋をして―(竹書房)』などの著者。
ゴキブリは怖い、貝は拾って食べる
「旅の虫眼鏡」は、イトヒロさんが旅で遭遇した動植物100種について描かれています。
私なんかは宿でゴキブリが出たら「ぎゃー」って叫んで必死で叩きつぶして「ああ気持ち悪かった」で終わりなんですが、イトヒロさんはそういう機会さえ面白がれるんでしょうね。
そんなことないよ、俺も同じだって。ギャーッて叫んで大騒ぎだよ。
ああ。どうやらゴキブリを例に挙げたのが悪かったようです。
ええと、ではたとえばチョウが飛んでるのを見かけたら観光ルートからはずれてどこまでも追跡するとか?
そりゃあ見たことのないチョウを見たら喜びはするけど、「わあ〜きれいだな珍しいな、あーあ飛んでっちゃった」で終わり。普通普通。
普通ねえ。ではたとえばアジア・アフリカ七ヶ月の旅の場合、どんな感じで日々をすごしていたのですか。
自分の中に「何をしなくちゃ」「何を見なくちゃ」っていう欲求も義務もなかったから、各地でのんびりと暮らすように過ごしてた(注3)
だから最大の関心事は、町歩きする時に履くゴムぞうりの鼻緒の長さと素材はどれがベストか?とか、今夜のおかずは何にしようかな?なんてことぐらいだった。
観光は?
たとえばバンコクには合計2〜3か月いたけど、ほとんど観光らしい観光はしてないの。帰国前に「そう言えば王宮を見てないぞ」って慌てて見に行ったりしたけど、結局水上マーケットは見てないし。
ちゃんと観光もすればよかった、なんて思わない?
そりゃあ自分の中に後悔もあるよ。でも一緒に行った向山があちこち行くって人じゃなかったこともあるし、現地の気候とか時間の流れとか町の空気に同化してる感じがそのときの自分にとっては自然だった。それが自分らしかったのかな。もうしょうがないね。今は今で違うんだろうね。でもやっぱりその時は、それがいちばん楽しかったんだよ。
そうか。自然百科を片手にあちこち観察したり撮影したりという感じではないのですね。
そこまでしないんだよな。せいぜいヤモリが虫を喰うのを眺めたり、砂浜で貝を集めてきて「これ喰えるの?」って現地の人に聞いて料理するぐらいで。ごく普通の旅行者だよ(注4)
おっと。さすがにそこんところには「日本人にとってはそういうのはあまり普通とは言えんだろう」ってツッコミが入りまっせ。
ああそうか。そうだな、そうかもしれんな。
私なんかは砂浜で貝を見つけても「これ食べられるのかな」と一瞬思いはしても、食べるには至らない。イトヒロさんは現地の人に聞いてOKなら食べてみる。どうやらそのあたりがイトヒロ流のミソのようですね。
では、暮らすように旅をしたイトヒロさんにとってはそれが普通だったということで話を進めましょう。
※注3→暮らすように旅をした
特にケニヤの首都ナイロビでは長く自炊生活をした。
「同宿の日本人(雑誌『旅行人』編集長の蔵前仁一・小川京子夫妻、『ある夜、ピラミッドで』の著者の田中真知夫妻など)と米から砂を一時間以上かけて取り除いて炊いたり、手に入る食材を工夫してたまに和食を作ったり。日本人ルートで乾燥ゴボウが手に入ったときは盛り上がってさ、豚汁作った。といっても豚肉を探すのもそれなりに大変なわけ、だってイスラム教徒が多いから・・・・(続きは「旅の虫眼鏡」154ページ・豆腐の巻をぜひご覧下さい)」
※注4→「砂浜で貝をとってきて料理する」証拠写真
実はモリはイトヒロさん一家とタイのサムイ島へダブル家族旅行したことがある。子供たちをひきつれて砂浜で貝を集めたイトヒロ探検隊長は、ホテルへ戻るやいなや料理長に変身した。
料理長に変身
「大丈夫、食べられるよ。以前ちゃんと現地の人に確認したし、本でも調べたから」
チャイナ娘自前のホーローカップ+湯沸し電熱コイルで調理。このためにインスタント味噌を持参。
チャイナ娘さてお味のほうは?
隊長「現地の人に『喰おうと思えば喰えるけど自分は喰わない』って笑われたんだよな」
モリ一家「そりゃそうだな……こりゃ」
旅のあとに湧いてきた
「ところであれは何だったんだろう?」
どうやらイトヒロさんは、最初から「旅の虫眼鏡」みたいな本を書くつもりで旅行していたわけではなさそうな。
うん。本を書くぞ、仕事にするぞって目的とか下心がちゃんとあれば(笑)、もっと真剣に図鑑で下調べしたり資料を持っていったり、現地でも一生懸命写真を撮ったりしてたかもしれない。
でも少なくとも俺の場合、仕事じゃなかったからああいう旅ができたと思うし、ああいう旅だったから書きたいと思ったのかもしれない。
私はね、「旅の虫眼鏡」は世界の身近な生き物図鑑ではあるけど、イトヒロという旅行者の純粋な旅行記だとも思ってます。
そうなの。実は原点は「生き物について書きたい」というより、「旅を書きたい」っていう気持ちなんだよ。
旅を書くのに切り口やモチーフを生き物と絞った理由は、あえて言うなら何でしょう。 

理由はな、ええーと、三つある。
ひとつめは打算(笑)。「今はもう旅行記を書いても仕方ない時代だ。よっぽど書き手の感性が優れていて普通のことでも面白く書けるとか、刺激的とか、珍しい話でなけりゃ誰も読まんし、値打ちもないぞ。おお、でも身近な生き物を軸にした旅人視点のものは旅本コーナーにはまだないではないか」ってな。

もちろん打算は重要でしょう。ふたつめは?
なにかをズラーッと並べた図鑑的なものが好きってことかな。
たとえば子供の頃から布団に入って寝る前に、世界の国の名前なんかを暗唱してずーっと言っていくのが好きというか、クセだったんだよね。アフガニスタン・アメリカ・アルゼンチン……っていう風に、200ぐらいの地名を思い出しながら言うの。植物でも鉱物でも食べ物でも、基本的にずらっと並べるのが好きなんだよ。
といっても、動植物にはちゃんと専門家がいるわけだから俺が図鑑を作ってもしょうがない。だから「生き物を網羅する」っていうんじゃなくて、「知りたいもの」っていう気持ちを軸にたくさん並べてみようと思った。
三つめは?
やっぱり自分が面白がってたのは身近な生き物だった、ってことだな。それは旅を終えて、時間がたってからようやく気づいたことなんだけどね。
旅先で見た生き物って、覚えてるじゃない。旅行中は「いずれこのカラスのことを書くぞ!」とは思ってないし、いちいち調べもしないんだけど、帰国して時間がたってから暮らしの中で「そういえばあれはなんだったのかな?」みたいな興味がちょこちょこ湧いてきたのね。
たとえば近所のゴミ集積所に群がるカラスを見てるうちに「そういえばアフリカで見たカラスはゴミをあさってたっけ? 首の後ろが白かったが、日本のカラスとどう違うのか?」って思ったり、砂浜で掘って食べた貝の正体や名前を今さらながら知りたくなったり。
旅雑誌で連載することになったとき、「書きたい調べたい」と思ったのが、生き物だった。
「旅行人」で連載されていた「月刊イトヒロ」(注5)のコーナーですね。懐かしい〜。「旅の虫眼鏡」はあの連載がベースになってるんですよね。
うん。でも単行本にまとめることが決まってからあらためて調べなおしたり、新たに書き下ろしたり、構成もガラッとかえたのね。あの時は半年ぐらい図書館に通いつめてさ。それは俺にとって、旅を二度三度と咀嚼する作業でもあったん
だよな。楽しかった。
※注5→「月刊イトヒロ」
雑誌「旅行人」がまだ同人誌だった頃から連載していた半ページの名物コーナー。一回につきひとつの生き物をクローズアップ。内容もさることながら、手書きの文章が毎回ぴったりとスペース内におさまっていることに、読者のモリはいつも「あっぱれ」と感心したものだ。
月刊イトヒロ/25
「月刊イトヒロ/25」ワニの回(月刊「旅行人」1995年5月号)。
旅の虫眼鏡
単行本化でこうなった。左ページに解説をまとめ、図説が加わった。右ページのエッセイも大幅に手が入れられている。うーむ、大変な作業だったに違いない。(「旅の虫眼鏡」より転載)
「日常の目線」が非日常を面白くするコツかもね
旅という切り口において、メッセージをひとことお願いします。
そうだなあ。「ふだんと目線を変えない旅をおすすめします」ってことかな。
旅行ってどう転んでも非日常だから鼻息荒くなって当然なんだけど、でもあえて「ふだんの自分と同じ目線で旅をしよう」って意識してみると案外面白い発見があったり、ものがよく見えてくると思うんだよね。
俺の場合ふだんの目線で追うものといえば、ヤモリだの市場の野菜だのサンドイッチにはさまってるサバだったりするわけだけど……たとえば町並みとか地下鉄のポスターみたいな人為的なものでもさ、ふだん日本で暮らしているときと同じ
目線で見ると比較できるじゃない。
なるほど。『比較』はキーワードですね。外国に行くとどうしても珍しいものに目が奪われるけど、一見日本とかわらない普通のものをまじまじとながめたら微妙な違いが見つかったり、逆に「日本と同じだ」ってことに驚いたり。
うん。べつに「能動的に日本との違いを研究しましょう」ってほどじゃなくても、モチーフに引かれてたまたまそういうものが見えたときって、単純にワクワクと楽しいよな。
いや、確かにそう思います。とはいえ私なんかはどうしても『あれ見てこれ見て観光して買い物じゃー』って感じになっちゃっうんですけどね。野良犬の目つきが日本の犬と違うとか、映画の看板が面白いなと思っても、写真撮ったらハイ次〜!みたいな。イトヒロさんのように旅するのが理想ってところがありつつも。
いや、単に俺が「観光して買い物して」的な旅ができないというか、浮いちゃうってだけだよ。
むしろ「旅はこうあるべきですってメッセージはないです」ってことがメッセージかもしれんなあ。わしからの、唯一の。
(東京都内・桜並木が美しいイトヒロ氏のご自宅にて)
イトヒロさんに「もしも」の質問
Q.人間以外に生まれかわるなら、何の生き物がいいですか?
A. えーっ。そういうの考えたことないけど……。そうだな、虫ぐらいがいいかな。
Q.なぜ虫?
A.生き方がシンプルで、あまり深く考えないって感じがいい。今まで虫になりたいと思ったことはなくて、人間に生まれてよかったと思ってはいるけど。でももし虫の短い一生と人間の長い一生の充実度が同じだとしたら、できるだけシンプルなほうがいいなと、今は思う。
Q.どの虫?
A.トンボかな。ギンヤンマ。
Q.どこの?
A.インドのギンヤンマだな。なんか気楽そうだから。
インドに行く前は『ハードそうだな、俺なんかに旅行できるのかな』って思ってたんだけど、行ってみたら『おーインドいいな』って思った。キャパシティが大きいというか、たとえば人間だって日本とは比べものにならないほど多様な人が共存してるわけだけど、どんな動物でもそこで暮らせそうだってところが、よかったね。
アラブ首長国連邦でのひとコマ
↑アラブ首長国連邦でのひとコマ。このときに見たラクダがイトヒロ氏の筆にかかってこうなる↓
ラクダ
イトヒロ氏
一宿一飯の恩義。泊めてくれた友人の子供に、その場で描いてプレゼント。
その場で描いてプレゼント

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