2006年01月17日

今まで使ってきたパソコンたち その4

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LC475で印刷物を作るのはいい加減限界を感じてきたので、もっと性能の良いパソコンを手に入れることにしました。そこで選んだのが「PowerMac 8500/150」というマシンです。

ゲームやネットへの接続はなんとかこなしてくれていたLC475だったけど、印刷物をDTPで作るにはかなり無理のある性能でした。例えばA4のカラー写真入りの印刷物を作るには、実寸で350dpiという解像度で画像を扱う必要があります。A4の半分の大きさくらいに写真を配置しようと思うと、画像のファイルサイズだけでも数十MBくらいになってしまうので、20MBしかメモリーを積んでいないLC475ではファイルを開くことすら困難ということに。

そこで、新たなパソコンを購入することを決意。今のように「入門機種でもそこそこなんでもできる」というような時代ではなく、DTPが可能なくらいのスペックの高いものを選ぼうと思うと、かなり思い切った金額を投資しないと買えるものではありませんでした。

「PowerMac 8500/150」という機種は、当時のMacの中でもかなり性能が高いにもかかわらず、比較的値下がりしていて手の届きやすい機種でした。それでも本体だけで25万、17インチのモニターが10万、キーボードやモデム、増設メモリーで5万、印刷会社への印刷データ入稿にはMOを使うのが一般的だったので、MOドライブで5万…と、学生にとっては半年分のバイト代をほぼ全て突っ込むような、えらく高い買い物になってしまいました。大学もそろそろ卒業にさしかかっていて、就職のことも考えないといけない時期だったので、「こりゃ趣味で終わらせたらもったいない、仕事にしないとモトが取れんな〜」などと考えていました。

PowerMac8500/150のスペック
発売日
1996年5月
CPU
PowerPC 604(150MHz)
メモリ
16MB
グラフィックス
1024×768ドット/32768色
1280×1024ドット/256色
ドライブ
3.5インチFDD×1
(1.44MB)
HDD 1.2GB
8倍速CD-ROM
価格
オープン
(25万円くらいで購入)


さすがにLC475に比べると圧倒的な処理速度で、大きなカラーのデータでもスイスイとレイアウトできるようになり、その頃からよく依頼されるようになってきた小劇団の芝居のチラシや、イベントのポスターなどを作ることができました。インターネットもISDNで接続できるようになって、14.4Kbpsのモデムで繋いでいた頃に比べるとずっと快適に使えるようになりました。

結局そうやってチマチマ作っていた印刷物がこの会社に入るきっかけになったので、今までのパソコン人生の中ではもっとも重要な役割を担っていたということになるかもしれません。「自分にどうしても必要だ!」と思ったら、自分の身の丈よりもいくぶん大きな投資をするのもいいもんだな〜と感じた次第です。

このパソコンは会社に入ってからもしばらく使っていました。拡張性が非常に高かったので、お金があるとメモリをボチボチと追加したり、ビデオカードを増設したり、果てはCPUを交換したりと「外見はそのままだけど中身は別物」のような状態で4年くらい働いてくれていたんだけど、新たなマシンを購入したことで、実家のオカン用として第2の人生を歩むことになりました。

(その5につづく)

投稿者 dennou : 16:30 | コメント (0) | トラックバック
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2005年12月14日

今まで使ってきたパソコンたち その(3)

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高校時代は少しパソコンから離れていて、大学1年のときに初めてのMacの「Macintosh LC475」を購入しました。

「FM77AV20」のワープロソフトで、会報や新聞作りに目覚めたんだけど、ある日新聞を読んでいたら東芝の「Rupo」というワープロの新製品の全面広告が目に入りました。それは「アウトライン機能(ドットの文字じゃなくて、大きな文字を印刷してもなめらかに印刷される)」や「レイアウト機能(テキストボックスや画像ボックスを作成して、レイアウトができる)」という機能をワープロで初めて搭載、というもので、それらの新機能を使って「DTP」ということができるのだ、と書かれていました。「DTP」という言葉を初めて知ったのはこの時です。そしてその「DTP」という言葉がたまらなく魅力的な言葉に見え、「これだ! これしかないんだ!」と思い込んで、親に「どうしてもお願いします!これを買って下さい!」と頼み込んでなんとか買ってもらったというのが「東芝 Rupo JW95GP」というワープロ専用機でした。当時の家庭用パソコンだと“遊び”にしか使えなくて、実際パソコンのワープロソフトよりも、ワープロ専用機のほうがはるかに高機能で印刷品質も優れており、同じ事をパソコンでやろうとすると、100万単位でお金が必要な時代でした。

まあ会報・新聞づくり(映画研究部でした)、といっても別に真面目なたいそうなものを作っていたわけではなく、映画に関するネタを面白おかしければいいという内容で同人誌的に作っていたんだけど、この時の遊びが今の仕事に結びついてるんじゃないかな〜と思います。


十ン年前に映画ネタのパロディで遊びで作っていた新聞が手元に残っていたのでアップ。切り貼りせずにここまでできるワープロは他になかったです。今ワードでここまでやろうと思ってもけっこうめんどくさいかも。


大学に入り、また久しぶりに新しいパソコンを買おうと思い始めました。なんとなく次も富士通かな〜と思い、富士通の「FM-TOWNS」というパソコンのカタログなんかを見ていたんだけど、サークル活動の関係で訪問したデザイン事務所にMac(Mac IIciだったと思う)が置いてあるのをみて、「あ〜そういえばMacっていうのもあったな、今はどんなのがあるんだろう?」と思い立ちました。

それまではMacに対するイメージといえば、モノクロで日本語が使えなくて実用性が低い、という時代が長かったので、“洋モノ”というイメージが強かったけど、久しぶりにパソコンショップに見に行ったMacはそのイメージを完全に覆すものでした。コンパクトでシンプルなデザインの筐体で、フルカラー表示も可能な高性能さといい、マウスひとつで操作できる優れた操作性(当時はまだウィンドウズは使い物にならなず、DOSというキーボードを使った操作が主流だった)といい、日本のメーカーのパソコンとは全く違った世界にすぐイチコロになってしまいました。価格も以前なら「クルマが買える」と言われていたくらい高価だった(本体だけで100万円弱くらいした)のに、安いものなら10万円台前半からと、国産パソコンと比べても安いくらいの価格だったのです。「いつのまにMacってこんなことになってたんだ!」と驚きました。

そこで、安いわりには上位機種に近い高性能、という評判だった「Macintosh LC475」を、13インチのカラーモニターとセットで20万円弱、あと14.4kbpsのモデムを3万円くらい、CD-ROMドライブを4万円くらいで購入しました。まだ「マルチメディア」という言葉が世間で聞かれ始めたころだったので、CD-ROMを搭載したパソコンは少なかったのです。Macの世界ではその「マルチメディア」を活かしたCGのアニメなどのCD-ROMソフトが多く発売されていたので、それを楽しむにはCD-ROMドライブが必須なのでした。最初に買ったゲームソフトは「シムシティ2000」で、高精細なグラフィックが新鮮でそれこそ寝ずに熱中して遊んでいた記憶があります。

Macintosh LC475のスペック
発売日
1993年10月
CPU
68LC040(25MHz)
メモリ
8MB
グラフィックス
832×624ドット/32000色
1152×870ドット/256色
ドライブ
3.5インチFDD×1
(1.44MB)
HDD 160MB
価格
オープン
(13万円くらいで購入)


当時よく通っていたMacの専門ショップでは、来たお客にコーヒーを出してくれて、店員さんとMacに関する雑談をしていたというような、のんびりした時代でした。そういった平和な雰囲気というのがMacの世界の魅力のひとつでした。

LC475はもっぱら「ニフティサーブ」(現ニフティ)にアクセスするのに使っていました。当時はまだインターネットは大学などの研究機関だけでしか使われておらず、一般人が使えるものではありませんでした。「ネット」といえば「ニフティサーブ」みたいなパソコン通信を指していて、アナログ回線で接続して、テキストコマンドを打ち込んで掲示板を巡回するという感じです。

大学でもまた映画部だったので、ここでも自主制作映画の宣伝ポスターやチラシ、パンフレットを作っていました。映画を作ることよりも、そっちのほうが面白くなってきて熱心にやっていたので、おかげで印刷のことにもだんだん詳しくなってきて、印刷物を作るためにモノクロのレーザープリンターも買いました。今はレーザーといえば業務用というイメージだけど、カラーのインクジェットプリンターが発売されたばかりでまだかなり高く、レーザーのほうがだいぶ安かったんです。それに写真入りでカラーの印刷物を作ろうと思うと、LC475では圧倒的に力不足で、それこそ100万くらいかけてパワーアップしないとムリな話でした。それでも少しでも処理能力を上げようと、16メガバイトのメモリを4万円、1GBの外付けハードディスクを5万円で買ったりして、少しづつパワーアップを図ったりしていました。

そのうちに「インターネットプロバイダー」という会社が登場し、個人でもインターネットに接続ができるようになったということを知りました。「インターネットカフェ」が流行しだしたのもこの頃です。1000円払うと1時間ネットサーフィンができるというようなカフェが巷に増えました。

プロバイダーに申し込みさえすれば、ネットカフェじゃなくても家のパソコンでインターネットに接続できるということをパソコン雑誌で知り、早速「ネットスケープナビゲーター」(ブラウザー)をパソコンショップで購入。今は無料でダウンロードが当たり前だけど、当時はブラウザーはパッケージソフトとして販売されているものでした。プロバイダーに契約を申し込んで送られてきた設定マニュアルと首っ引きでなんとか設定を済ませ、最初に米国のYahoo!のページが表示されたときは本当に感動しました(まだ日本版のYahoo!はなかった)。パソコンを使っていて、コンピューターの底知れぬ可能性を心から体感した瞬間だったと思います。月2000円で4時間まで接続ができるというような従量制の料金だったのと、まだそんなに実用性のあるホームページが世の中に存在しなかったということもあって、インターネットが生活の中に入り込むのはまだ少し先の話になります。

その(4)へ続く

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2005年12月07日

今まで使ってきたパソコンたち その(2)

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次に買ったのは中学1年のときで、またまた富士通の「FM77AV20」というパソコンでした。

当時はメーカーが違うと同じソフトが使えないという時代で、最初に買ったパソコンのメーカーのものを次も買う、というのが普通でした。メーカーが違うと今までのソフトや周辺機器が全く使えなくなるので、「メーカーと心中する」くらいの気合いが入った人が多く、“そのパソコンのユーザー=メーカーの信者”という雰囲気でした。ということでぼくは“富士通の信者”だったというわけですな。

FM-77AV20のスペック
発売日
1986年12月
CPU
MBL68B09(2MHz)
メモリ
128KB
グラフィックス
640×200ドット/8色
320×200ドット/4096色
ドライブ
3.5インチFDD×2(640KB)
価格
168,000円


「同じソフトが使えない」というのは、今は「Windows対応」と書かれていれば全てのウィンドウズPCで動くのが当たり前だけど、いってみればソフトがNEC用、富士通用、東芝用みたいに完全に分かれているという感じです。さらにそのNEC用の中でも動く機種と動かない機種があるといった状況で、ソフトやハードの互換性というものが全くなかったので、最初に富士通を選択したら次も富士通を選択するしかなかったという事情があります。人気のないパソコンはだんだんソフトの数が少なくなっていき、ソフトが少ないからパソコンも売れなくなり…という“デフレスパイラル”に陥って消えていったパソコンがいくつもありました。逆に人気のあるパソコンはどんどんソフトが増え、ソフトが増えるからパソコンも売れて、という好循環に入って、特定の機種向けのソフトが大量に発売される、という極端な状況もありました。

当時のその“好循環”に入った人気機種というのはNECの「PC-8801」シリーズで、ソフトの数も圧倒的でした。一方ぼくが使っていた富士通のFMシリーズというのは、性能が良くてそこそこ人気があり支持も堅いけど、少しマニアックな面からどうしても主流にはなれないというイメージでした。PC-8801ユーザーの友人がいろんなゲームで楽しんでいるのをうらやましく思いながら、「フン、こっちのパソコンのほうがグラフィックもスゴイんだよ!」とライバル意識を燃やしていた記憶があります。

実際この機種のグラフィック機能は当時としては画期的で、4096色の表示が可能となっており、写真をパソコンで表示する、ということが現実的になった機種でした。それまでは8色か、せいぜい256色といった色数しか使えず、表示できるのは粗いイラストくらいのものだったので、業界的にもかなり評判になっていました。ケータイの液晶画面が、最初モノクロだったのが256色のカラーになり、その後フルカラーで写真も表示できるようになったというように、当時のパソコンもまさに進化の過程にあったわけです。

初めて「ワープロ」に触れたのもこのパソコンでした。やっと漢字表示ができるようになり、ソフトもフロッピーディスクになり、家庭用のモノクロプリンター(1文字が24ドット×24ドットのインクリボン式)も手が届くようになったおかげで、ビジネス用ではなく家庭用のパソコンでもワープロが使えるようになりました。「変換」キーを押すと、フロッピーに候補の漢字データを読みにいって、少し待たされた後に候補が表示される、という悠長なものだったけど、自分の打った文章が活字になるということにえらく感動しました。学校の部活動の会報誌を、このワープロで切り貼りしながらせっせと作っていたというのが、今の仕事の原点なのかも。

さらにこの機種はモニターでテレビが見られるという、いわゆる「テレビパソコン」の走りだったというのも印象深いです。もちろん動画の録画はできなかったけど、静止画を取り込んでグラフィックソフトで加工したりということができました。パソコンを使わなくなったあとも、10年近くテレビとして使っていたので、「最も使い込んだ」といえるパソコンだと思います。この後しばらくはパソコンから離れて、高校生の間はもっぱらワープロで新聞や会報誌を作るということを熱心にやっていました。DTPというのを覚えたのもその頃です。

(その3につづく)

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2005年12月06日

今まで使ってきたパソコンたち その(1)

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「パソコン歴はどれくらい?」「いったい何台持ってるの?」と聞かれることが多いので、ちょっと自分のパソコンの歴史を振り返ってみることにしました。

最初にパソコンを買ったのは小学5年生のときで、富士通から発売されていた「FM-NEW7」というパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)でした。その頃はとくにメカ好きというわけでもなく、電子工作少年というわけでもなく、単に「ゲームがしたかったから」という理由だったと思います。当時はファミコンの全盛期だったんだけど、親にはどうしても買ってもらえなかったので、「パソコンならゲームじゃなくて勉強にも使えるんやって!」と苦しい言い訳で説得して買った記憶があります。近所のミドリ電化で8色表示が可能なカラーモニターとセットで15万円くらいだったので、お年玉の貯金をはたいて、兄と一緒に買いました。何に使うかよくわからないものにいきなり15万も出したというのも、今考えるとよくやるよな〜と思います。

FM-NEW7のスペック
発売日
1984年5月
CPU
MBL68B09(2MHz)
メモリ
64KB
グラフィックス
640×200ドット 8色
価格
99,800円


メモリが64KBってことは、小さめのJPEG画像1枚程度の容量しかないってことになりますな。まあ当時はパソコンで写真を表示する、ということは想像を絶するようなすごいことだった(8色のカラーでイラストを表示するのが精一杯)で、こんな容量でもゲームなどには十分使えたものでした。

ファミコンの変わりに“マイコン”をゲットして何をしていたかというと、当時はパソコンといっても「何にも使えるようで、何にも使えない」というくらいの性能しかなく、もちろんネットもなし。やることといえばゲームばかり、というか、ゲームしかやることがなかったという状況でした。フロッピーディスクが普及する前だったので、市販のゲームソフトのメディアは「カセットテープ」。データを保存するのにも「カセットテープ」を使うというのが一般的で、「データレコーダー」というラジカセのような機器でデータを“音”として記録していたわけです。FAXを送るときに「ピ〜ヒョロロ〜」と音が鳴るけど、それとほぼ同じ方法ですな。今は音楽でも映像でも、アナログのものをデジタルに変換して扱う、というのが基本だけど、その逆でデジタルのものをアナログに変換していたということになるのかな。カセットは音楽用のものがそのまま使えて、データをコピーするときは「ダブルカセット」のラジカセでダビングするという方法が使えました。

ゲームをするときは、データレコーダーにカセットテープをセットして、「ピ〜ヒョロロ〜」という音を延々聴きながらプログラムがロードされるのを待って、10分後くらいにやっと遊べるようになるという感じでした。途中でエラーが起きて、泣く泣く最初からロードし直し、ということもよくあったので、子供ながらに「パソコンを使うのも修行やな〜」と思いつつ、無事にロードが完了することを念じながらテープをセットしていました。

当時は「とくダネ」の小倉智昭氏が司会を務める「パソコンサンデー」というテレビ番組があり、その番組では副音声でプログラムを“放送”するということをやっていました(本人もこの番組をよくネタにしている)。テレビにラジカセを接続して、その音声を“ダウンロード”していたという記憶があります(単に録音していただけ)。録音したテープをパソコンにロードすればプログラムが実行できるという仕組みで、今考えると、デジタル放送のデータ配信みたいなことをアナログベースでやっていたというのがすごいです。

あとはパソコン雑誌に掲載されるプログラムリストを打ち込んで遊ぶ、というのが一般的でした。何十ページにもわたるプログラムをチマチマと何日もかかって入力したのに、いざ実行してみると「Error」と表示されて、目を皿のようにしながら画面と雑誌を比べて間違いを探していたというのも思い出です。できること自体がショボかったので、そんなに使い込んだという感じではないけど、初めてパソコンというものに触れたという思い出深いマシンでした。「ウチのパソコンではゲームくらいしかできないけど、世の中にはもっとすごいパソコンもあるんだろうな〜」と夢をふくらませていた時代です。


FM-7シリーズの歴史をまとめたサイト「Oh! FM-7」
http://www.retropc.net/fm-7/

(その2へつづく)

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